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松山地方裁判所八幡浜支部 昭和57年(ワ)18号 判決

原告

甲野一郎

右法定代理人親権者父

甲野太郎

同母

甲野花子

右訴訟代理人

大島博

被告

八幡浜市

右代表者市長

平田久市

右訴訟代理人

白石隆

主文

一  被告は原告に対し、金三一〇万八八八二円及びうち金三〇〇万八八八二円に対する昭和五九年四月一日から支払ずみまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを八分し、その七を原告の負担、その一を被告の負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実《省略》

理由

一事故の発生

昭和五六年七月九日午後三時三〇分ころ、八幡浜市大字八代五三三番地所在の八代中学本件校舎二階の窓から、当時同中学一年に在学中の原告が同級生の丙川に突き落とされる形で地面に転落し負傷したことは、当事者間に争いがなく、右事実に、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

1  原告は、昭和五六年七月九日当時、満一二才で八代中学一年二組に在学中であつたが、同日午後三時三〇分ころ、清掃時間が終了し、「終りの会」といういわゆるホーム・ルームが始まる前の時間帯において、本件校舎二階の一年二組の教室前の廊下で、同級生の丙川が他の級友二名のふざけ合いの喧嘩をはやし立てているのを目撃し、「もうやめとけや。」と言つて丙川に注意を与えたこと、これを聞いた丙川は、原告に対し怒つたような態度を示し、原告の正面に立つて両手で原告の肩を押さえ、そのまま原告を教室と反対側の外側に面した廊下窓際まで押して行つたこと

2  原告は、同所で廊下に足をつけ窓の腰壁に腰を掛ける格好になつたが、丙川はふざけて原告を恐がらせようとの意思のもとに、外に突き落とすぞといわんばかりになおも原告の肩を両手で窓の外側に押し続けたこと、原告は丙川に押されて腰を窓の腰壁に乗せたまま上半身を外側にのけぞらせたが、その瞬間身体のバランスを失い、上半身から窓の外側に転落しかかつたこと

3  丙川は、原告の右転落に気付き、あわてて原告の体を手で掴んで転落を阻止しようとしたが及ばず、両名とも二階の窓から地上に落下したこと、原告は、仰向けの姿勢で落下し、途中で一階窓のひさしの部分に腰をぶつけ、そのまま砂利敷きの地面に腰部から落下したこと

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

二被告の責任

被告が八代中学の本件校舎の設置、管理者であること、本件事故が発生した本件校舎の二階廊下の外側窓の腰壁の高さが六一センチメートルであることは、当事者間に争いがなく、右事実に、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

1  本件校舎は、木造二階建造で、昭和三五年に被告により建てられたものであり、同年四月七日建築確認を受け、建築基準法その他の法規に適合して建築されたものであること、建築当時、校舎内の照明設備を欠いていたのと学校当局の要望で廊下の幅を広くした関係上、教室内に自然の採光を十分とり入れる目的で本件校舎二階廊下の外側窓を広く設計、施行し、そのため、右廊下外側窓の腰壁の高さは六一センチメートルにとどめられたこと

2  本件事故が発生した一年二組の教室前の廊下は幅2.20メートルで、外部に面した外側窓は上下二段のガラス窓となつており、下段窓の一枠が縦1.20メートル、横1.68メートルで、左右に開く二枚のガラス戸が組み込まれていて、本件事故の際、原告が転落した窓のガラス戸は開けられたままの状態になつていたこと、右窓の外側には、本件事故後、転落防止用の横さんが取り付けられた(この点は、当事者間に争いがない。)が、事故当時にはこれらの防護設備はなく、二階廊下の床面とほぼ同一平面上に一階窓のひさしが校舎外に張り出されていたものの、これは幅1.13メートルのやや傾斜した屋根状のもので、窓からの転落事故を防止する用をなすものではなかつたこと

3  右一階窓のひさしの軒下から地上までの空間は4.05メートルで、原告は前叙のとおり、二階廊下に足をつけ外側窓の腰壁に腰を掛けた状態で上半身をのけぞらせる格好になり、そのまま仰向けの姿勢で外に転落し、一旦、一階窓のひさしに当つた後、約四メートル下の地上に落下したこと、原告が落下した地点は、コンクリート造の足洗い場の傍の砂利が敷かれた土の上であつたこと

4  学校校舎の建築に関し、二階以上の建物の外側に面する窓の腰壁の高さについては、建築基準法その他の法規に基づく規制はなされていない実情にあるところ、文部省管理局教育施設部は、学校施設の教育的配慮ないしは安全、防災等の見地から「学校施設設計指針」と題する行政文書(以下、「指針」という。)を作成し、これにより各都道府県教育委員会に対し行政指導を行なつていること、昭和五三年一〇月四日改正の指針においては、学校施設は児童、生徒等の安全を確保するように設計するものとしたうえ、建物各部の設計に当つては児童、生徒等は行動が極めて活発であること、危険に対する判断能力が未発達であることなど、その特性を十分理解し危険のないよう行き届いた配慮が必要であるとしていること、さらに同指針では、校舎の外部に面した窓については、児童、生徒等の転落防止を考慮して腰壁の高さは慎重に定めること、また、窓下には足掛かりとなるような台等は設置しないことが望ましいが、やむを得ない場合には必要に応じて窓面に手すりを設けるよう指導していること

5  八幡浜市及びその周辺地域(愛媛県下のいわゆる南予地区)の公立中学校における二階以上の校舎の外側に面した窓の腰壁の高さを調査したところ、いずれも昭和五六年七月の本件事故当時で、八幡浜市内の七中学校のうち、最低が八代中学の本件校舎の六一センチメートル、その最高が一〇〇センチメートルで、平均すると69.6センチメートルであり、大洲市内の一六中学校のうち、最低が71.5センチメートル、その最高が一〇五センチメートルで、平均すると八〇センチメートルであり、宇和島市内の四中学のうち、最低が七五センチメートル(但し、窓外部に床上一一〇センチメートルの高さの手すり付き)、その最高が一一五センチメートルで、平均すると九二センチメートルであること

6 八代中学では、校舎内外での生徒の安全指導を生活指導の一環として行なつており、本件事故前においても、朝礼や集会の機会などに全校生徒に対し、廊下ではつばえない、走らないことの注意を徹底しており、また、本件事故の発生した本件校舎二階廊下の外側窓の拭き掃除を腰壁に乗つてすることを禁じていたこと、八代中学では本件事故まで校舎の窓からの生徒の転落事故は一件も発生しておらず、教職員においても本件校舎二階窓の腰壁の高さが生徒の転落事故の原因となるほど危険であるとの特別の認識はなかつたこと、そして、同中学では本件事故後、前叙のとおり窓の外側に横さんを取り付け転落事故の再発を防止する措置を講じたこと

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

ところで、国家賠償法二条一項の営造物の設置又は管理の瑕疵とは、営造物が本来具有すべき安全性を欠いている状態をいい、これを当該営造物の構造、用法、場所的環境及び利用状況等諸般の事実を総合考慮して具体的個別的に判断すべきものであるところ、当該事故の発生が営造物の設置、管理者において通常予測することのできない行動に起因するものであるときは、国家賠償法二条一項の規定による責任を免れることができるものと解される。(最高裁判所第三小法廷昭和五三年七月四日判決、民集三二巻五号八〇九頁参照。)

そこで、これを本件について以下検討する。

本件校舎は、中学校校舎であり、その施設の設置、管理においては、中学生の発育ないし行動態様に応じた安全性を有すべきであることは論を俟たないところ、二階廊下の外側に面する窓の高さについては、同所からの生徒の転落事故が発生することのないよう十分な高さを確保する必要があり、仮に建物の設計上、右の高さを低くとどめざるを得ない場合には、手すりを設けるなど転落防止用設備を設置して安全上の配慮をなすべきである。

学校校舎の二階以上の窓の腰壁の高さについては、法規上の規制はなく、前叙のとおり文部省管理局教育施設部が前記指針に基づき行政指導を行なつているところ、同指針では、児童、生徒等の転落防止を配慮してその高さは慎重に定めることと指摘しているが、ここでも具体的数値をあげて適切な高さを指導するまではしていない。

結局、教育施設として相応しい外観や採光、通風の確保と児童、生徒の安全上の配慮の両面から学校校舎窓の腰壁の高さが決定されなければならないが、安全上の配慮からすれば、中学校校舎では、利用者である中学生、ことにその低学年層は身心ともに未発達で時には危険な行動に出やすい年代であること、教室前廊下は生徒が普通に通行するだけではなく、休憩時間などには生徒の集る場所となり、その際、事の善悪は別として中学生の年代では生徒間の悪ふざけ行為も行なわれやすいことを考慮すると、中学校校舎の二階以上の廊下の外側に面する窓の腰壁の高さは、生徒が起つたままの姿勢から飛び上がることなく容易に腰掛け得る程度の高さであつたり、また、他の生徒の悪ふざけ行為などにより生徒が窓際から外へ身を乗り出す状態となつた場合でも容易に生徒の身体の重心より上の部分が外に出てしまい、生徒が身体のバランスを失つて転落し易い程度の高さであつてはならないといえる。

右の観点からすると、本件校舎二階廊下の外側に面する腰壁の高さが六一センチメートルの高さしかなかつたことは、生徒の転落防止の面からみて、その安全上の配慮を欠いていたものといわざるを得ず、右腰壁の高さが、八幡浜市内のみならず愛媛県下南予地区の三市内における中学校校舎の中で、最低の高さであり、その平均的高さと比較して約二〇センチメートルも低いものであつたことは右判断を裏づけるものである。

もつとも、本件校舎二階廊下窓の腰壁の高さを六一センチメートルにとどめたのは、昭和三五年の本件校舎建築当時、校舎内の照明設備を欠いていたことから、自然の採光を十分確保する趣旨により、そのようにしたもので、当時としては合理的根拠に基づく設計と評価できるものである。しかしながら、その後本件事故発生までには約二〇年を経過しており、この間に校舎内の照明事情はもとより、中学生の平均身長の伸びや情緒面の変化が生じていることは当裁判所に顕著な事実であつて、長い年月の経過によるこれらの事情の変化に即応して校舎内の生徒の安全確保の観点から右腰壁の高さについては再検討がなされるべきであつたといえる。

また、八代中学においては、生徒指導の面から機会ある度に生徒に対し廊下では走らない、つばえないことの注意を徹底し、本件校舎二階廊下の外側窓の拭き掃除を生徒が腰壁に乗つてすることを禁じていたことは前叙のとおりであるが、かかる生徒指導の面からだけの安全配慮には自ずと限界があり、本件校舎二階の外側窓には、前記腰壁の高さからして、本件事故後設置されたように横さんを取り付けるなど物理的な転落防止用の設備を設置すべきであつたといわなければならない。

したがつて、本件校舎は、右の点において中学校校舎として本来具有すべき安全性を欠いていたものというべく、その設置又は管理に瑕疵があつたものといわざるを得ない。

そして、本件事故は、前叙のとおり、級友の丙川が悪ふざけ行為によつて原告を本件校舎二階の窓際から外に押し出したことにより発生している(高校が本気で原告を窓の外に突き落とすつもりでなかつたことは、同人が原告の落下に気付きあわてて原告の体を掴んで阻止しようとし、自分も転落していることからして明らかである。)が、丙川のかかる悪ふざけ行為は、それ自体極めて危険でかつ悪質といえるけれども、身心ともに未発達で時には危険を省みず悪ふざけ行為に出がちな中学生の、しかも小学校を卒業して数か月を経たばかりの中学一年生の校舎内における行動として通常予測できない範疇に属する行為とまではいえなく、本件校舎二階廊下の外側に面する窓の腰壁の高さが僅か六一センチメートルしかなく低きに失したがために、原告は丙川の右悪ふざけ行為によつて身体の重心より上の部分を容易に窓の外へ押し出され、かつ、その腰壁の低さゆえに容易く身体のバランスを失つて外に転落したものと認められる。

そうすると、本件事故は、右丙川の不法行為と競合して、本件校舎の右設置又は管理の瑕疵に起因して発生したものであるということができる。

以上の次第から、本件校舎の設置、管理者である被告は、国家賠償法二条一項に基づき本件事故により発生した原告の後記損害を賠償すべき責任がある。

三損害等

1  原告の受傷及び治療状況等

原告が本件事故により、右大腿骨転子間骨折、右坐骨骨折、腎臓損傷の傷害を受け、昭和五六年七月九日から同年一二月四日まで広瀬病院に入院し、同年一二月五日から市立八幡浜総合病院に通院して治療を受けたことは、当事者間に争いがない。

右事実のほか、〈証拠〉を総合すれば、次の事実が認められる。

(一)  原告は、本件事故後、直ちに八幡浜市内の広瀬病院に入院し、前記傷害名の診断を受けて、昭和五六年七月九日から同年一二月四日まで一四九日間入院治療を受けたこと、原告は、同病院に入院当初歩行不能で血尿が出る状態のため安静治療を要したが、入院後約一週間して血尿は止まり、約三週間後の同年七月末ころには起立が可能となり無理をすれば少しの歩行も可能となるまで回復し、同年九月上旬ころからは機能回復訓練が開始されたこと、同病院の主治医上田弘明医師は、同年一〇月下旬ころ、原告が義務教育中の中学生徒であることを考慮し無理をすれば入院治療を続けながら通学できるまでに回復をみたものと診断して、原告に翌一一月からの通学を勧めたが、原告及び原告の両親においては、原告が授業時間中の座位に堪えるまで身体の回復をみていないとして右医師の勧めには応じなかつたこと、このような事情から上田医師においては原告の詐病をも疑うようになり、一方では自己の診察に見落としがあることも懸念して原告の両親に対し転院を勧告し、同年一二月四日原告は同病院を退院したこと

(二)  その後、原告は、昭和五六年一二月一一日、松山赤十字病院で診察を受け、市立八幡浜総合病院を紹介され、同病院において同年一二月一六日から翌昭和五七年七月一七日まで約七か月間通院治療を受けたこと、同病院において原告は右股間節の疼痛と運動制限を訴え(歩行は跛行状態で約一〇〇メートル程度、座位は一〇数分程度しかできない旨。)、一週間に二回程の機能回復訓練を受けたこと、原告は右訓練に意欲的に取りくみ、その結果、通院終了時ころには、原告本人が主治医の佐藤洋医師に相当筋力がついてきた旨申し出る程に回復をみたこと

(三)  その後、原告は、被告側からの勧めもあり、勉学をしながら機能回復訓練を受けられる松山市内の県立受媛整肢療護園に昭和五七年七月一九日入園し、右股関節の運動制限や右下肢の筋力低下などにつき機能回復訓練を受けたこと、同園の担当医三宅良昌医師は翌昭和五八年三月末ころまでには原告の運動機能の回復を達成し、同年四月から復学の見通しを立てていたところ、原告の側において本人の偏食が強いなど同園の規律に順応できない面が生じ、昭和五七年一〇月中旬ころ、慢性腎炎と尿路感染の疑いで同園から松山赤十字病院へ委託治療のため転院した時期に、原告は、無断で八幡浜市の自宅に帰り、そのまま同園を退園したこと

(四)  ついで原告は、昭和五七年一二月上旬ころ八幡浜市内の菊地接骨院で施術を受けた後、翌昭和五八年一月四日宇和町の山本病院で診察を受け、外傷性右股関節症、腰部椎間板障害の診断により、同年一月一一日から同年五月二一日まで約四か月間入院治療を受けたこと、但し、腰部椎間板障害については、同年四月ころ宇和島市内の専門病院において精密検査を受けた結果、異常なしの所見が得られていること、山本病院における入院期間中、原告は主治医山本淳医師の指導のもとに機能回復訓練を受け、右股関節の可動域、右下肢の筋力増強などに相当の改善がみられたこと

(五)  山本淳医師は、原告の傷害について昭和五八年五月一〇日に症状固定をみたとして同月二四日付の身体障害者診断書を作成したこと、右診断書によれば、原告の主訴として、右大腿屈側にひきつるような痛みがある、歩行距離二〇〇メートルで腰痛等が増強する、自転車に乗れない、走れない、四〇分以上椅子に座れない旨の、他覚的所見として、大腿周囲径右46.5、左四七センチメートル、下腿周囲径右三三、左三四センチメートル、歩行時に右下肢が外旋位をとる、右下腿外側に知覚鈍麻がある旨の各記載があり、右診断書に基づき原告は身体障害者等級表四級の肢体不自由の認定を受け、同年六月一日付で受媛県より身体障害者手帳の交付を受けていること、しかし、その後、原告は山本病院への通院治療を続ける一方、自宅においても機能回復訓練に努め、現在では和式便所で後へ手をつかないと座れない、長時間立つていると足腰が痛むなどの障害を残しながらも、自転車にも乗れるようになり、歩行も正常な歩き方で相当距離可能となるまでに回復をみていること

(六)  原告は、右治療期間中、広瀬病院退院後の昭和五七年三、四月ころ数日間登校しただけで、その後は学校側の勧めもあつたが登校せず、昭和五八年五月下旬の山本病院退院後、継続して登校するようになり、翌昭和五九年三月に八代中学を卒業したこと、原告は三年生の一学期に右事実上の復学をしたが、普通学級では授業の遅れを取り戻すのが難く、二学期からは特別学級に在籍して授業を受けたこと、原告の両親においては右事情から原告に義務教育終了時の基礎学力が十分身についていないことを懸念し、八代中学の推薦を受け、原告を私立高校へ進学させたが、原告は高校進学後、学校生活に十分順応できず、一学年一学期中ばの昭和五九年五月二九日付で退学し、現在は本人の希望として理容専門学校の通信教育を受けて資格を取り、その方面の職業に就く意思を有していること

以上の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。

2  損害

(一)  治療費 四四八二円

〈証拠〉によれば、原告の前記各医療期間における治療費については、昭和五六年七月から昭和五八年一〇月までの間合計六八万三二九九円が日本学校健康会から支払われた事実が認められるところ、〈証拠〉によれば、原告の本件事故による治療費の自己負担分として合計四四八二円の支出がなされた事実が認められる。

(二)  付添費 二六万七〇〇〇円

原告が本件事故による傷害のため、事故当日から一四九日間広瀬病院に入院したことは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、右入院期間中八九日間母親の付添看護を要した事実が認められるので、一日当たり三〇〇〇円として合計二六万七〇〇〇円を本件事故による損害と認める。

(三)  入院諸雑費 一〇万四三〇〇円

前記広瀬病院における一四九日間の入院期間中、一日当り七〇〇円の雑費として合計一〇万四三〇〇円の損害を被つたものと推認する。

(四)  交通費 三万〇一〇〇円

原告が広瀬病院退院後、昭和五六年一二月一六日から昭和五七年七月一七日まで市立八幡浜総合病院に一週間に二回程の割合で通院したことは前認定のとおりであり、〈証拠〉によれば、右通院期間中原告は長距離の歩行が困難で、自宅から同病院までタクシーで往復し、一回につき八六〇円を要したこと、右タクシー代は当初被告において負担されていたが、原告が被告らを相手に損害賠償の民事調停を申し立てた昭和五七年二月末ころ(右調停申立時期については当裁判所に顕著な事実である。)右負担が打ち切られたことの事実が認められ、そうすると、同年三月から同年七月一七日までの通院回数を三五回とし通院一回分のタクシー代八六〇円を乗じた合計三万〇一〇〇円の損害を被つたものと認める。

(五)  リハビリ器具購入費 五〇〇〇円

〈証拠〉によれば、原告は本件事故後、自宅における機能回復訓練のためリハビリ器具を購入し、五〇〇〇円を下らない支出したことが認められるので、右費用を本件事故と相当因果関係のある損害と認める。

(六)  慰藉料 一九〇万円

原告は、本件事故により前記傷害を受け、長期間に亘る入院、通院治療を受けたこと、この間中学における義務教育を十分に受けることができず、そのため重要な成長期にあつて学力その他の発達が少なからず阻害されたこと、また、右股関節の損傷により長時間の座位や起立に堪えない後遺障害を残したことは前認定のとおりであり、かかる事情を考慮すると、原告が本件事故により被つた精神的苦痛は甚大であるといわなければならない。

しかしながら、一方、原告の前記治療経過をみると、原告の側で担当医師の指示や勧告に必ずしも十分従つたとはいえない点が指摘され、このことが原告の回復を遅らせ、その治療を長びかせる結果となつた面を否定することができず、右事情は損害の拡大についての原告側の過失として慰藉料の算定にあたり斟酌せざるを得ない。

また、原告は、昭和五八年六月一日付で身体障害者等級表四級の身体障害の認定を受けているが、その後山本病院において機能回復訓練を受けるなどして右認定時に比較して相当程度運動機能の回復をみていることは前認定のとおりであり、現在における後遺障害としては自賠法施行令二条の後遺障害等級表第一二級七号に該当するものと認めるのが相当である。

そこで、本件における慰藉料の額を算出するに、入、通院にともなう慰藉料としては、前記原告の受傷内容、治療経過、入通院期間、勉学状況等を考慮すると二〇〇万円が相当であるが、原告側の前記過失を斟酌すれば二割の過失相殺をした一六〇万円が相当と認められ、後遺障害に対する慰藉料としては、前記後遺障害の内容、程度のほか、後記回復の可能性及び逸失利益の認容等を考慮すると三〇万円が相当と認められる。

そうすると本件事故による原告の精神的慰藉料の額は、右合計一九〇万円が相当である。

(七)  逸失利益 四九万八〇〇〇円

原告の本件事故による後遺障害を現在において自賠責施行令二条の後遺障害別等級表第一二級七号に該当するものと認められることは前叙のとおりであり、これは労働能力喪失率一四パーセントに相当するものであるが、これまでの機能回復の経過から推して、原告の右障害は遅くとも一八才の就労可能年令から三年を経た二一才までには回復をみるものと認めるのが相当である。

そこで、原告の右後遺障害による逸失利益を昭和五七年賃金センサス第一巻第一表全国性別、学歴別、年令階級別平均給与額表の一八才ないし一九才の年間給与額一六五万八七〇〇円を基礎とし、受傷時一二才で一八才の就労可能年令から三年間、一四パーセントの労働能力を喪失したとして、年五分の割合による中間利息をホフマン方式により控除して算定すると、次式のとおり四九万八〇〇〇円(一〇〇円未満切り捨て。)となる。

1,658,700×(7.2782−5.1336)×0.14=498,000

(八)  弁護士費用 三〇万円

原告が本件訴訟の提起、追行を原告訴訟代理人弁護士に委任し、着手金として二〇万円を支払い、報酬金として二〇万円を支払う約束であることは、弁論の全趣旨によりこれを認めることができ、本件訴訟の難易度、認容額等に照らせば、本件事故と相当因果関係がある弁護士費用としては三〇万円をもつて相当と認める。

四結論

以上の次第であるから、被告は原告に対し、右損害額の合計金三一〇万八八八二円とこのうち弁護士報酬金分一〇万円を除いた金三〇〇万八八八二円に対する本件事故後で訴の追加的変更の準備書面送達日の翌日である昭和五九年四月一日から支払ずみまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務があり、原告の本訴請求は、右の限度において理由があるのでこれを認容し、その余の請求は理由がないので棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条を、仮執行宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(佐藤武彦)

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